カリカリ梅こんぶ

文句言って逃げる人生

鑑賞備忘録(1月・2月)

 
3年A組の件で大口をたたき、粗探しともいえるような重箱つつきをしていたが、自分はあまり映像作品を見ない。あまりというか全く見ない人間だった。ドラマも、映画も、アニメもだ。
そんな自分が映像作品を見るようになったのはごく最近である。一月の下旬くらいからだ。きっかけはもちろん菅田将暉山田孝之である。出演作をとりあえず追ってみよう、そんな軽い気持ちで色々と見始めた。
一ヶ月半で約40本ほど見たのでその中でも最も印象に残ったものをメモしておく。
 
バック・トゥー・ザ・フューチャーシリーズ
お前それすら見たことなかったのかよという開幕っぷりにいかに自分が映像作品を見てこなかったのかが分かるだろう。
言わずもがなの名作でした。
出した、映した小道具は全て使い倒すスキのない作りと現代でも楽しめる話。 
なんとなく思っていた続編は評価が低いという先入観をぶち壊してくれる2部と3部。
面白かったです。
 
ドリスとフィリップは性格も身分も人種も違う。でもドリスが自分を見る目はフラットで、素直で、とても純粋で、そして同等の人間として接してくれる価値観を持っている。
フィリップには機械的な介護人ではなく、自分を一人の人として見てくれる人物が必要だった。それは障碍者と健常者という繊細な間柄だけではなく、普通に生活している自分たちにとっても同じ価値観を持ち、同党の人間として接してくれる人間が一人でもいることがどれだけ心地の良いことか理解させてくれる。
繊細な間柄のふたりを優しく楽しく表現していて、見ていてとても爽やかで健やかな気持ちになれる作品でした。これぞ男友達の会話!のようなえぐいブラックジョークや下ネタがたまらなく好き。
 
ピンポン
三年ほど前に見た記憶があるが、今見てもやはり胸が熱くなる。
天才、凡才、努力、友情。スポーツ漫画の良さが114分にぎゅっと詰まっていて、スマイルとペコの心情の変化に、飽き性で映像作品は基本ながら見の自分が中だるみすることなく見ていられる作品。
 
そこのみにて光り輝く
初見の評価はそれほどでもなかった。ながら見だったし、恋愛映画とコメディ映画が苦手な自分は、この作品がゴリゴリの恋愛映画だと気づいたとき、少しだけ肩を落とした。
しかし、最後のシーンでぐっと引き込まれ、いつの間にか何度も見返してしまう映画になっていた。
俳優陣の演技に引き込まれてしまった。菅田将暉はひいきなしにしても、多分最初にこの映画を見て、菅田将暉に出会っていても彼の推しになっていただろうと思うくらいに良かった。
 
コメディ映画は苦手で、なにが面白いんだ?と冷めた目で見てしまうことが多い中、帝一の國は体当たりな俳優陣の演技がとてもよく、軽快なテンポであり、展開も一転二転とするため見やすかった。
邦画のコメディで初めて純粋に楽しめた作品だったし、自分でも楽しめるコメディ映画に出会えたことがうれしかった。
 
公開当時、自分はかなりのキッズで、とあるゲームで豊臣陣営にだだハマりしていた自分にとって、豊臣陣営が敵陣であるということはかなり見るのに抵抗があったのを覚えている。
今見るとどちらの陣営も上手くピックアップされていてとてもよかった。
食わず嫌いは良くないなぁ。
唯一の不満点は、水攻めを石田三成がしたことになっていたことか。
 
以前見たことのあるピンポンを除けばこの五作品が特によかった。
 
最近見たドラマ枠であると、人生観を変えたと言っても過言ではない「dele」と話の緩急がとてもよかった「ドロ刑」、最近アマゾンプライムで配信されて一気見した「BORDER」がよかった。
今期のドラマだと話の面白さに波があるものの「メゾン・ド・ポリス」とデリヘル嬢と女の苦悩を描いた「フルーツ宅配便」だろうか。
 
山田孝之菅田将暉の出演作から追いかけ始めたのに二人の主演作であまり良いのがなかったのが残念だ。
菅田将暉の主演作は「帝一の國」、山田孝之の主演作でよかったと思えたのを出すとすると「凶悪」。
 
三月にもアマプラで配信が始まった作品で気になったものが何本かあるので楽しみにしたい。

離脱報告

 

seatto006223.hatenablog.com

 前回詳細を書きたいなどと言ったが、残念ながらこの記事の後、つまり六話で離脱してしまった。おそらくこんな感情的過ぎる内容を見てくれている人などいないと思うが、申し訳ない。

推しの顔面だけでは耐えきれない内容だった。悲しい。

 

3年A組なんて見ている時間があるならアマプラ勢はdeleを見てください。

お願いします、なんでもしますから!

 

 

3年A組の最新話が酷い

※最新話(二〇一九年二月一〇日放送六話)ネタバレあり

 

 

3年A組 皆さんは、今から人質ですに関する前回記事

 

seatto006223.hatenablog.com

 

 

前回、保身に走った前書きを残してしまったことを恥ずかしく思う。

最新話の六話を見て確信した。この「3年A組 皆さんは、今から人質です」は最大級のクソドラマだ。そしてこのクソドラマに推しが主演で出ているという事実を受け入れられない。受け入れたくない。

もう誰になんと言われようともこのドラマはクソドラマだ。 クソ過ぎて不快で吐き気がする。こんなドラマに推しが出演して時間を割いていることが酷く悔しくて、こっちが泣きたくなる。というか泣いている。

 

最新話が酷かった

 

1話から6話まで、 主人公の柊は同じことを繰り返している。問題定義→解決→説教。

ネット記事などでは、これを良く言って「定番」と書いているが、定番化するにはあまりにもお粗末な展開が繰り返されている。

六話も違わず、生徒に説教をするわけだが、今回はそれがとてつもなく不快だった。

話の展開も、説教の内容も、怒りの矛先も、役者の演技も、全てが酷かった。

 

問題定義→解決→説教という流れのテンプレ化は、おそらく現代の若者に対してなんらかのメッセージ笑を伝えたいという思いが出ているのは分かる。

六話はデジタル機器やSNSの拡散力の恐ろしさだろうか。

最近も若者によるバカッターとバカスタグラムでの炎上が多い。

 

 

タイミング的にはちょうどよいだろうし、現代の問題に切り込んでいくという意思は分かる。

しかし、問題はその説教までの持っていき方だ。これが酷い。

顧問により水泳部を無理矢理辞めさせられたという生徒が、その顧問がレイナを殺した真犯人ではないかという告発動画を友人に撮影させる。そしてそれをSNSにのせて拡散させようとするのだ。

その生徒は、顧問によって部活を休み、異性が入院する病院に見舞いに行ったところを盗撮され、恋愛ごっこをしているのならば水泳を辞めろと水泳部の全員の前で盗撮写真をばらまかれるという現在ならばおそらく物申す系ユーチューバーのネタにされそうな行為で無理矢理生徒を水泳部から退部させている。

生徒はそれに怒り、告発動画を撮影するわけだが、顧問によって実はその生徒は病気を患っており、水泳を続けられない身体だったことが判明する。

顧問は将来有望で努力家な彼女には口頭で言っても、きっと水泳を続けるだろうと思い、上記のような暴挙で無理矢理彼女を水泳部から退部させた。

生徒はそれを知り、顧問の不器用な優しさ(笑)に涙をするわけであるが…。

さて、うすら寒い展開であるが、まだ許せる。許せないが。

いや盗撮したこと怒れよ。自分の病気のことをしっかり説明してと訴えろよ。怖くないのか? 運動してはいけない身体で体育の授業を受けてきて、今までを振り返って怖くなかったのか? この人質に取られている緊迫した状況で、更に不幸が重なるように身体に病気があると判明して、取り乱さない鋼メンタル。すごい。

それはさておき、顧問からの真実が出たところで主人公がとった行動は、パワハラを動画で訴えようとした生徒に怒鳴り散らすという行為だった。

 

は?

 

確かに軽率に動画を投稿し、ネットの海に拡散するという行為は現代においてやってはいけないことである。

しかし、盗撮をされ、他の部員たちの前で屈辱を味わい、努力してきた水泳をろくな説明もされずに無理矢理辞めさせられた彼女に対して、主人公は胸倉をつかみ、彼女が寄りかかる扉をガンガン叩き、怒鳴り散らし、机を蹴り上げ、ご自慢の説教をする。

「お前の無責任な行動で無実の教師、教師の家庭があと少しで台無しになるところだった」と怒鳴る主人公。

それでは彼女が今まで水泳に費やしてきた時間をろくな説明もせず、最悪なやり方で無駄にしたと思わせてしまったその教師はどうなのだろうか。

生徒を盗撮するという行為も、わざわざ見せしめのように他の部員たちの前で盗撮写真をばらまき怒鳴りつける行為も、あの教師が彼女に対して行った行為はハイエナのように広告収入を欲しがる物申す系ユーチューバーが動画を何回か分けて骨までしゃぶる勢いで食いつきそうな行為だと思う。

それが例え、その顧問なりの善意だとしても。

いやでもな、ほんと実際こんな教師いたら炎上ですよ炎上。それこそ炎上ですよ。嘘っぱちの告発動画より炎上してますよ。だってこの生徒視点ではやられたことは真実なんだもの。

教師の行動のほうが炎上要素満載なのに、主人公の怒りの矛先はまさかのパワハラを告発しようとした生徒なのである。

あまりにも話の持っていき方、雑すぎじゃないですか?

そんなに軽率に動画をあげることに対しての説教を行いたかったのであれば、度々登場しているクラスメイトのフォロワー増やしたい自己顕示欲女を説教すればよかったのだ。

それなのにわざわざ壮大なうすら寒い展開を作り上げ、理不尽に生徒を怒鳴りつけ、無理矢理説教へともっていく。

「感情に任せて行動する年じゃない」とかなんとか主人公は言っていたが、お前のほうが感情の起伏激しすぎて壮大なブーメランしてるよと言いたいがそれは今は置いておく。

あまりにも伝えたいメッセージが先走りすぎて、それまでの展開がおざなりになっているように思える。

特に今回はそれが顕著だった。

正直、これまでの話は、話の流れ的にも展開的にも説教の仕方的にも、なにを伝えたいのかがいまいちわかりにくかった。

しかし今回は、「軽率に他人の名前を出してSNSに拡散することは、その人の人生を台無しにする恐れがある愚かな行為」であることを伝えたいというのが分かりやすく出ている。

だから円卓強化ルートをやりながら見ていても話の流れが理解できた。理解してしまったからこそ心底から不快に思えた。

 

とにもかくにも、六話は話の持っていき方が酷く雑で、そして理不尽な説教で、話が破綻しているように思えた。

そんな話の破綻したドラマに推しが出ているのが見るのがつらくて、悲しくて、泣いた。

感情のままに今は書いている。

少し落ち着いたら、役者の演技や他の登場人物に対しても別の記事で書いていきたい。

3年A組が面白くない

 

※ネタバレあり

※これは菅田将暉目当てに3年A組を見たただの気持ち悪いオタクが菅田将暉の顔面だけじゃカバーしきれないドラマのひどさを書き散らしただけのクソ文だからまともなレビューを見たい人には本当に時間の無駄です。レビュー目的で見つけてくれた人、ごめん。まともなとこいっぱいあると思うからそこ行ってね。

 

オタク特有の自分語り

 

菅田将暉が好きだ。

 

2018年8月上旬、菅田将暉によって人生を変えられた。

正直2018年8月以前の記憶がない。記憶を飛ばされるほどの衝撃的な出会いだった。唯一覚えているのはレッツゴーピカチュウ・レッツゴーイーブイの発売が発表されたのをきっかけに公開当初にインストールして一週間プレイして投げた「ポケモンGO」を再開し、ハマって一日7キロ8キロばかすか歩いていたことくらいだ。なおレツブイは一週間で飽きた。

ということで、菅田将暉山田孝之W主演のドラマ「dele」を見て菅田将暉山田孝之両名とドラマに2018年8月以前の記憶を吹っ飛ばされ、まるで別人になったような感覚にさえなった。

久しぶりにこのブログを開き、読み返してみれば無料で遊べるソーシャルゲームに対してグチグチと文句を言っていた自分がいて、コメントにもあったがまさしく『ガキ』であると思った。くだらねぇこと書いてんなぁと。

しかしその『ガキ』の根幹は変わらないようで、今回も揚げ足取りのような不平不満を言うために滅多に更新をしないこのブログを開いたのである。なんていう人間だ。だから友達がいないんですよ。菅田将暉山田孝之をもってしてもこの人間を別人に変えることはできなかったのだ。多分またなにかしらで二人が共演してくれたら変われる気がするので共演して。

 

3年A組が面白くない

 

ということで、「dele」がきっかけで菅田将暉という俳優に心を奪われた新参にわかの自分にとって「3年A組ー今から皆さんは、人質ですー」はリアルタイムで見るはじめての菅田将暉主演作だった。

主演菅田将暉にくわえ、主人公とヒロインの大げさな演技に辟易して一話切りも検討したが結果的に最後まで楽しめた「怪盗山猫」の脚本家、そしてdeleにも関わった助監督。それなりに期待できる布陣だと思っていた。今回のドラマが脚本家オリジナル脚本というところ以外を除けば。

一話を見た。駄目だった。でも怪盗山猫もそうだった。きっとこの人はスロースターターなんだ。そう思っていた。

二話を見た。駄目だった。というか内容が薄っぺらすぎてなにが起こったのかすら覚えていない。なにがあったっけ。

三話も見た。駄目だった。先週の放送なのに何一つ覚えていない。

四話はまだ見ていない。なぜ見るのか。揚げ足取りや不平不満を言うために見ているようにしか自分でも思えないのだ。だからまだ見ていない。見るのが面倒くさいなんてそんな、そうだけど。

 

ダダ滑りしているネット受けを目指したダンス体操、主人公以外のキャラクターの薄っぺらさ、シナリオのために動かされるヒロイン、生徒たちの頭の悪さ、爆破による強制的な展開操作、結局生徒たちを殺していない甘い展開。キャラクター、内容、展開、全てにおいて見るのがしんどい。菅田将暉の顔面の良さだけじゃ補えねぇよ…!

 

ダダ滑りしているネット受けを目指したダンス体操

これは完全に好みの話になるのだが、自分はコメディやギャグシーンが中心に進むような話があまり好きではない。反応的に言うと画面の中でなにをされても「は?」という反応しかできないのだ。しかし、それをしっかり指摘してくれて、力強く突っ込んでくるような人物がいればまだ見ることのできる。むしろ、そういったシリアスとコメディが波のように襲ってくる緩急のある作品はとても好みだ。(ドロ刑とかめっちゃよくない?緩急の波が心地よかった。)

しかし、3年A組を見ると、ダンス体操には誰もツッコミを入れず、平常運転で全員が躍る。シュールを目指しているのだろうが、自分からすれば「は?」である。このダンス体操は果たして意味があるのか?今後関わってくるのか?関わってこないのあれば尺の無駄であると思ったのだが、おそらくはネット受けを目指しているのだろう。

生徒のキャラクター像やSNSの描写も、拡散力のあるネット受けを狙っているのがなんとなくわかる。

そしてそれにこたえるようにトレンドに乗ったり、検索トップ画に載せるSNS

成功していると言えばしているのだろうか。よかったね。

これ以外にも視聴していてツッコミどころのあるシーン、シュールやギャグ、コメディを狙っているシーンがいくつか見受けられるが、緊迫したシチュエーション、そして教師が一方的に生徒に命令をし、生徒が太刀打ちできる状況ではない教師の独裁政治の真っ最中のため、なにが起きてもツッコミ不在である。ダダ滑りしているようにしか映らない。

ツッコミ不在の恐怖を体現しているように思える。

再三いうが、完全な好みの結果、シュール要素、コメディ要素がくっそつまんない。

正直推しが滑ってるの見るのめっちゃきついからな!?

 

主人公以外のキャラクターの薄っぺらさ

これに関しては、演出、または脚本が悪いのかな、と思う。1話を1日としてやっていく構成に問題があった、というべきか。

三話までを見るに、主人公以外の主に生徒たちのキャラクターの内面は全て『後だし』の状況だ。

犯人を捜して、それが分かったらその人物のしてきた行いや負の側面、性格が明らかになってくる。そしてすべてを暴かれた生徒が涙ながらに自分の罪を告白し、それを教師が説教をし悔い改めさせる。

おそらくここはお涙頂戴の感動的なシーンであるが、見ていて薄っぺらさしかなかった。生徒側に全く感情移入ができないのだ。

その理由は簡単である。生徒側の性格や特徴が犯人捜しの前にほとんど明らかになっていないからだ。

例えば二話のレイナが自殺した原因にもなった「動画の投稿者」であったウサミカホ。

彼女のバックグラウンドはおそらく「クラスの人気者」「承認欲求が高く、自分が目立つ、または守ることができるのならば、他人を使うことを厭わない」「嫉妬深く、プライドが高い」こんな感じだろうか。

ここを彼女が犯人だとわかる前にもう少し具体的に演出することができていれば少しは感情移入できていたかもしれない。

カホが動画を投稿したことが判明し、最も恐れていたことは「クラスの人気者」から一気に「レイナを自殺させた殺人犯」となりずっと居座ってきたポジションから転落することだ。

カホがクラスの人気者であるシーン。彼女の周りには常に人がいる。男女問わない。スマートフォンを見せ合って、昼休みに撮った写真を見比べてどれをSNSに載せるか話し、笑いあう。

彼女が犯人だとわかる前に、そんな描写があれば、動画投稿者の犯人あてをしろと教師に課題を出された瞬間、今まで自分を支えてきた「人気者」の土台がぐらぐらと揺れ始める恐怖、そしてぎりぎりまで名乗り出なかった「自分のメンツを保とうとするプライドの高さ」が更に濃く表現できたのではないだろうか。

何が言いたいのかというと、同じ制服着て同じような髪形の子たちが何人もいる中で細かな性格の描写もなしにいきなりこいつが犯人です!!って言われても誰だよこいつってなるって話。

正直カホはまだ一話から目立ってたし顔も勿論良い意味で特徴的なのでまだほーん、せやかせやかって感じだった。

三話の動画撮影の犯人である。

誰だよ…サトミって……誰だよ!!イケメンとか言われてたけど別にそうでなくないか…!?髪型と服装のせいか…!?

三話の動画撮影の犯人の動機も顔も特徴もクソ過ぎて教師の説教なんて耳に入ってこねぇよ説教中は推しの顔アップなのに全然もう…!なんも入ってこねぇよ誰だよ今説教されてるやつ…!!

別に生徒全員に焦点をあてなくてもよい。ただミスリードを含め、もっと何人かの人物を描写をまともにしておくべきだと思った。初回の90分とかで。せっかく尺貰ったんだしさ。

主人公に関しては、最初に生徒から馬鹿にされてて、受動的な人間であったが、それはあくまでも仮面であり…みたいなことは一応冒頭で提示されていたしおそらく彼の正体も話の軸になっていくと思いたいので今回は特にコメントすることはないかな。

 

シナリオに動かされるヒロイン

言い方に語弊があるかもしれない。もしも読んでくれている人がいて、良い言い方があったら是非教えてください。

ヒロインの行動は全てが「シナリオを円滑に動かすための装置」でしかないことがはっきりと分かって、見ていて展開の切り替えの際にヒロインが動くとま~たこいつか、という気分になる。

レイナの自殺の真相を追うためには、親友であったヒロイン「カヤノサクラ」の存在は必要不可欠だ。だからこそ、彼女には自分の意思をはっきりともち、自分の意見を通してもらいたいと思う。

一話では、最初は周りから詰め寄られ、自分を犠牲にしたものの、最後ははっきりと意見を言えることができた。

だからこそ、レイナの自殺がクラスメイトのいじめによるものだ、とはっきりと言い切った彼女の動きには期待していたのが、二話でもまた自分を犠牲する。まあ結果的に犯人をあぶりだすことになったのだが。

「私がやりました」

二回目。悲劇のヒロイン面をするのは、一回でいい。成長をしてくれ…。お前が自分を犠牲にしても、柊は答えを知っているのだから、何の意味もないんだよ。

結果的に彼女の行動が、二話の動画投稿者の犯人である「カホ」を自首させることになったのだが、彼女はクラスメイトを救うために自分を犠牲にしたのか、それとも犯人をあぶりだすために自分が悲劇のヒロインを演じたのか。

もしも後者であったら、それは面白いと思う。実はこのヒロインも教師側の人間で、次々と犯人をあぶりだすために汚れ役をやり遂げる……あ、そういう話?だったらまだ納得できる。はっ、もしかして四話で明らかになる裏切り者ってまさか…?

もしも前者であれば、彼女は一話のドラマの中で話を展開させるための人形でしかない。あまりにもかわいそうな使い方だ。

というか、ヒロインが自己犠牲をして動かなければ、他の生徒たちはなにもできないの?

あまりにも生徒たちをないがしろにし、馬鹿にしていると思う。

アクションからキャラクターが産まれることもあるし、キャラクターからアクションが産まれることもどちらもある。だからもしかしたら、「シナリオに動かされているヒロイン」という言い方は相応しくないのかもしれない。

このアクションが話にどうしても必要だから、自己犠牲しがちなヒロインが産まれたのかもしれない。

まあ、それにしたってなんとも自己の意思のないヒロインだ、と思うわけだが。

 

生徒たちの頭の悪さ

 

こいつら本当に高校生か…?暴力でしか太刀打ちできないと思っている生徒、スマートフォンなどの最先端技術に頼り、自分の頭では動こうとしない生徒。ラブデスターの中学生より頭悪い。

課題を出されたら他人に罪を擦り付けて騒ぎ立てるだけ。三話まで見て、同じことを繰り返す脳死の生徒たちのシーンを見るのはひどく退屈だ。おかげでマントル高校投手セン〇厳選が捗る。

 視聴当初は、教師VS生徒の頭脳戦が繰り広げられると思っていたが、そんなこともなく教師の独裁政治による脅しが続く。

悪の教典のように一人ずば抜けて頭の良い生徒がいて教師に挑むが、教師は圧倒的な頭脳と力を持ってそれをねじ伏せる……のようなシーンもなく、ただ柊が爆発と殺害予告で脅してそれに生徒が戸惑い、騒ぎ、他人に罪を擦り付けるだけ。

これが三話も続く。しんどい。

これがリアリティなのかもしれない。本当にこういう危機に高校生が陥ったら太刀打ちできないかもしれない。

でもドラマなのだから、高校生に夢を見たっていいと思う。ていうか同じような展開だらだらと続けられても退屈だから打破できるような能力を持った人物が必要だったのではないか。

全員知能指数が一緒なのが残念だ。

四話になれば生徒たちも成長して、自分たちの知恵でどうにかしようとするのだろうか。期待。

 

爆破による展開の強制操作・甘い展開

 

うん、まあ、地上波のドラマだしね…仕方ないよね…。爆破って目立つし、教師が生徒本当に殺してたらコンプラ的にやばいもんね……うん……。書くの飽きたとかそんなことないよ、ほんとだってば。

 

まとめ

脳死生徒たちを相手に独裁政治をする教師という構図のため、

・状況的にまともにツッコむことのできる人間がいないのに無駄にいれるシュール・ギャグ要素での滑り具合

・練り込まれていない登場人物の設定による薄っぺらい感動物語を感情移入できていないのに聞かされるむず痒さ

・他の生徒が無能だから悲劇のヒロイン役をかって出なければならないスイッチ役のヒロイン

主にこの三つのせいでなにを伝えたいのか、どこが面白いのかが自分には全く分からない。柊だけに重きをおいたような作品だけに思える。それならもう熱血教師ものとかにすればよかったのでは。そういうの見たことないから分からないけど。

 

これだけ言って褒めるとこないのかよ、って話なので良かったところをあげると、美術教師菅田将暉のビジュアルと刑事コンビが可愛いってことですかね。はい。

とにかく、なんだかウェブニュースとかではこのドラマが深みがあるだの衝撃の展開が続くだの持て囃してては???ってなったので備忘録としてまとめました。

 

deleの2期やってくれないかな~

ソシャゲライタークオリアちゃん~大学とカフェと銭洗弁財天と~

今更だが、2016年に発売されたソシャゲライタークオリアちゃんを読んだ。
手に取った理由は単純で、自分が最近文章を仕事にし始めたからである。
この本で語られるような無茶ぶりをしまくり、無理難題を押し付ける鬼ディレクターではなく、菩薩のように優しい編集さんに分かりやすい手解きを受けながら副業として文章を生産することを始めたわけだが、文章の仕事にも沢山のジャンルがあるわけで、自分にとって「ソシャゲライター」は未知の世界だった。

シナリオライターのハウツー本はあれど、ソーシャルゲームのみに焦点をおいた本はこの本が出てから2年経つが、まだ出ていないだろう。
ハウツー本の需要がないのか、ソシャゲライターを志す人間があまりいないのか、とにもかくにもこの本しかなく、そしてそれが奇しくも自分にとって因縁のゲームを作った協力者の本だった。

全体としては、小説としては目もあてられない残念なレベルだけれど暴露本・ハウツー本として見ればまあ成り立つんじゃないんですかねって感じ。
でもこれに金払うんだったらフツーに著者のTwitter見てりゃよくね?なんか普段から熱くTwitterでも色々と語ってるし。

内容は、主人公がソシャゲライターのヒロインと出会ったことで彼女を手伝っていくうちにだんだんとシナリオを書く楽しさ、作る熱意を覚えていく流れ。
ヒロインの親族は全員特殊能力を持っていてそれをシナリオ製作に生かしている。
彼らが語るのは、ソーシャルゲームシナリオを作る際の苦労や熱意、そして金銭の問題や無茶ぶりや無理難題を振ってくる制作会社に対する愚痴や疑問などなど。
ソーシャルゲームシナリオ界隈の裏を語るラブコメライトノベルである。

暴露本として
ソーシャルゲームシナリオライターが、安い報酬ながらも、鬼のようなディレクターからの無茶ぶりに答え、泥水啜りながらも熱意をもってやっていることが窺うことが出来るだろう。ソシャゲの特徴である短いが濃厚なストーリーにいかに熱量がこもっているかが分かる。

ハウツー本として
それでは、ハウツー本としてはどうだろうか。これは、自分にとっても大切なことだった。
答えとしては参考になる部分が霞むというか印象に残らないというか……。
うーん、参考にならなくない?え、これ、なる?なるの?ならなくない?
だってこれさ、シナリオ書くことを登場人物の特殊能力で解決しちゃってるじゃん?

締切間に合いません!→ヒロインの時間操作で締切前に戻って解決☆
登場人物の気持ちを汲み取って文章にしたい!→ヒロインの妹のキャラクターなりきり能力でキャラの設定から場面と気持ちを再現☆
プロットをうまくたてたい→ヒロインの弟が独自の洞察力ともろもろであっという間にプロットをまとめちゃうぞ☆

いやそこ能力で解決しないで教えてくれよ。
ヒロインの親族だけでシナリオが作れてしまうのは小説という観点からみても致命的で、主人公はソーシャルゲームシナリオの書き方を理解するところで成長が止まってしまう。
あとの不足してい部分はヒロイン長男の特殊能力と主人公が持っている能力でなんとかしているのだ。
そう、主人公も「能力もち」なのである(とは言えタイムリープなどの特殊能力ではないが)
主人公もまた、今迄に触れてきた名作の名言約5万個を駆使して物語を作る「普通の人間」である。
ハウツー本と言うのは、キャラの掛け合いというやり方をとるにしても、底辺レベルな人間がプロの技術を教わってなんとかしていくのがセオリーだろう。
しかし出てくる登場人物は、書く技術の他にもなんかクソくだらない能力があるし、学ぶはずの主人公がキーとなって今までヒットした作品(シュタゲだのひぐらしだの)の台詞をパク――ヒントに、ここはこうするのがいい!とか言っちゃうから、パロディの元ネタを知らない読者は勿論、ハウツーとして読みたいであろう読み手も置いてきぼりを食らう。
いやいやハウツー本なのに読者置いてきぼりにすんなや。

コンシュマーゲームやPCゲームとは違う書き方、ポイントがあるということも述べているが、残念ながら登場人物達が使うクソくだらない能力を使うことがないので重要な部分がいらない味付けのせいで霞んでいるような印象を受ける。

作品を作るシーンで印象に残っているのは上記した能力を使うシーンなのだが、締切を守るなんて8月31日の小学1年生ですら分かる当たり前のことなのだから流石に著者もそこら辺は教えるつもりで書いたということはないだろう。
キャラの気持ちなんてものも作る人からすれば当たり前だしプロットをクライアントに分かりやすいようにまとめることが大切なんてこともシナリオライターを目指している文字書きにとっては当たり前のことなのでは、と思うのでここら辺は全て物語の演出だと思うことにした。

しかし、霞んでいてもソーシャルゲームのシナリオ、そして短いシナリオを作るポイントやコツはしっかりと書かれているのでソシャゲライターになりたい人は目を通しておくのは良いのではないだろうか。
まあ金銭面でかなり苦戦してる部分も一緒に読んでなりたいと思う人がいるか分からないが。

小説として

小説として、は、どうだったか。

一言で言えばクソだと思った。様々なことが矛盾しすぎていてつっこむのも疲れるレベル。
なんで小説にしたの?普通に暴露&シナリオ書き方本として出せばよかったじゃん?
特に、ヒロイン周りがとりあえず酷すぎる。
能力がどうこうは散々他の感想で言われてる通り必要なかったと思う。
特殊能力うんぬんよりも、気になったのは登場人物の思考回路だ。

ソシャゲライタークオリアちゃんの登場人物は、周りのことが見えない視野の狭い独り善がりな頭お花畑ちゃんしかいない。
普通を主張する主人公も全然普通じゃない。

しかし、それは仕方がないとおもうことにした。
彼らが存在する世界は登場人物しか出てこないご都合主義の箱庭の世界として書かれているからだ。
ならみんな頭シンデレラ体重なのも仕方がない。

ヒロインの両親はすでに他界している。コミケでコスプレしてたら両親熱中症で死んじゃいました☆
おかげでヒロインのお家は兄弟四人の超貧乏なお家です☆
著者、いや、この世界にとっては、コミケで死者が出ても自分のやりたいことが全うできたなら許されるらしい。
コミケで死者が出るということは勿論大問題だがそんなことはこの世界には関係のないことなのだ。

そしてこんな馬鹿げた死因を美談にしている頭お花畑のヒロインその他兄弟はパパとママがだいちゅきでだいちゅきたまらない。
自分だったらコミケでコスプレして熱中症で死んだ親なんて愚かすぎて愚かすぎて表に出られないレベルだがここの登場人物は倫理観が死んでいるから問題ない。
倫理観どころか生きるという思考すらもガチで死んでいるからめちゃくちゃ貧乏なのに、誰も来ないカフェを経営してるし、散々報酬が低いと愚痴っているソシャゲライターを続けている。

ヒロインは兄弟で経営してるカフェスペースで日々執筆をしているのだが、そりゃ変態(と実際描写されていた)ボディースーツ着て必死の形相でパソコン叩いてる痴女のいるカフェに入ってくる奴など変態しかいないだろう。それくらい誰だって分かるだろうが、この世界にはヒロインと主人公とヒロインの家族しか存在しないから誰も突っ込んでくれない。

ソシャゲライターを続けるのは死んじゃったパパママの跡継ぎでヒロインが熱意をもってやっている。
だからみんなで「シナリオの制作」を手伝っている。
いやいやいやいや!そっちじゃなくて生活するのを手伝ってやれよ!?
妹の設定があれば超人レベルの演技が出来るってそれ芸能界行けるって!!設定の掘り下げがないから能力使えないやとかいう場面あるけどじゃあそれドラマとか脚本あるしいいんじゃない!?おすすめするよ!?
主人公もライターになって大好きなヒロイン助けたい!お金稼ぎたい!とか言ってるけど普通に働いた方が養えるからね!?

でも仕方がないのである。
この世界には、時間操作が出来る人間がいても、次元を切り開ける人間がいても、公務員も会社員も芸能界も存在しない箱庭の世界なのだから。
主人公はソシャゲライターにしかなれないのである。
この世界には、大学とカフェabcdと銭洗弁財天しかないのだから。

自分が読んでいて一番驚愕したのは、このソシャゲライターをやっているヒロインが、貧乏だからスマートフォンを持っていないのである。つまり、ソシャゲをプレイしていないのである。
そ、そんなやつから教わりたくねぇー!!!
なんなんだこの設定。意味わからんぽよ。
やってるのはもっぱらパソコンのギャルゲエロゲである。もうギャルゲーの書き方講座でもやってろよ。

でも仕方がない!!!この世界ではソシャゲの話を書くことしか出来ないのだから!!!

登場人物の狂気的な思考や行動を除くとあとは地の文と台詞しか語るところがないのだがここも褒めるところがない。
著者いわく名作の台詞のオンパレードである。
名作というかヒット作な気がするが。
ひぐらしのなく頃に、とかシュタインズゲートとなクロスチャンネルとか。ひぐらししか知らんけど。
あ、なんかメモオフってやつもヒロインに熱く語らせてたな。ちなみにソシャゲじゃないですギャルゲーです。そしてこれはソシャゲに纏わる本です。

正直台詞ひとつ出されたところでだからなに?としか言いようがない。
自分はてっきり、作品名と台詞を出し、ここがよかったから活かせる、ここがよかったからヒットした。こういうところを参考にするのがよい。とかヒットした経緯や参考事例を述べる話に展開するのかと思ったがただ登場人物に言わせているだけである。
残念ながら自分は全うなオタク業をまともにこなしてきたオタクではないのでヒット作品としてあげられたのでピンときたのはひぐらしだけだった。
そのため、パロとかオマージュがクソほど嫌いなのもあり萎え萎えだ。

これらに関して何が言いたいのかというとさ、もうこういう自己満足オナニーはTwitterなりブログなりでやれよ。

作中にメモリーズオフという作品の聖地にいって作品を熱く語るシーンがあるがそれがただ聖地巡りするだけでメモリーズオフがソシャゲを書くにあたり参考になる部分など全く語られない。
じゃあここいらなくない???まじで……ハウツー本なんでしょ?暴露本なんでしょ???
ただメモリーズオフあげしたいだけじゃん。ソシャゲになんの意味も持たせられないなら出すなよ。
そんなにメモリーズオフに関わりたいならTwitterで媚売ればいいし制作会社行って膝をついて感謝を述べればいい。
自分のオナニーを読者に見せつけまくってるのだ。
まあヒロインもボディースーツ着てカフェで執筆する痴女だし仕方ないのかもしれない。

総合するとソシャゲライタークオリアちゃんは箱庭世界で自分の言いたいことを言いたいだけ言い切った著者の自己満足オナニー本なんだと思う。
読後は、エロゲ特有の絶倫主人公のエロゲ特有の大量ザーメンを全身に浴びた感覚だった。ザーメンシャワー初体験である。

これを読んで学んだことと言えば、自分も文章の仕事をする際には自己満足オナニーしないようになろうと思えたことぐらいだ。
自分がこんな作品を書く前に、気づけたことに感謝すべきか。

4年間続けたソーシャルゲームを辞めようと思った話

Twitterでも呟いたが、自分語りも含めてチェンクロをプレイしてきた4年間を振り返ろうと思う。

振り返るといってももうすでにアンインストールしてしまっているので、物語を詳細に振り返ることが出来ない。
うろ覚えクロニクルで自分とチェインクロニクルの絆の物語を語る。

序盤は自分語り満載だから飛ばすか読まないかどうにかしてください。

と言うことで、タイトルにある4年間続けたソーシャルゲームというのは、2013年7月26日にリリースされたチェインクロニクルだ。

バトルシステムは5人のキャラクターを動かし、自軍を敵から守るタワーディフェンス
各キャラクターにはシナリオが1つから3つまでついていて、それを読むとガチャ石を貰えたり、新たな能力を開放する。

なんか主人公がすむ大陸に敵がわーってきたから主人公が義勇軍立ち上げて頑張るのがシナリオの大筋。めんどいから自分で調べて。

チェインクロニクルとの出会いは、2013年の夏コミの参加が終わった直後だった。多分8月13日くらい。
なにをトチ狂ったのか、7月と8月の2ヶ月間で同人誌を4冊発行し、即売会に参加しまくっていて最後に参加したのが夏コミ1日目だった。めっちゃ暑かった。

イベントで完全燃焼して、ベッドでごろごろしていた時にTwitterでフォロワーがめっちゃ可愛い女の子の画像(賢者の塔のエレミアちゃん)とかマップ画面あげてて気になったからノリでダウンロードした。

当時、つまらない講義中に机の下でパズドラやグリマスしかやってこなかった自分にとって、2Dの可愛いキャラクターが小さな画面のなかを動いてかっこいいエフェクト出して技を発動する姿や、本を丸々一冊詰め込んだようなシナリオは、感動や驚きの連続だった。
めっちゃハマった。

これをハマっていないと言うならば、今までなににハマってたんだってくらいなんかもうめっちゃ面白かった。

単純ながら絶妙な難易度で唸らせてくるタワーディフェンス型のバトルもさながら、なんといってもシナリオがとても良かった。

はじめて引いたSRキャラが戦闘狂の殺し大好きマンで しかも短髪で目付き悪くてとりあえずすごいツボに入ったキャラだったんだけど、本編に加えてそのキャラを焦点に当てたシナリオまで読めて、基本無料て。すげぇなって。

さらに驚いたのは低レアのキャラもSSR、SRと同じクオリティ、いや、もしかしたらさらに上のクオリティのシナリオが読めること。
ヒロインのことを守ろうとする見習い剣士ショタとか普段戦場ではドライな感情を持ちながらも情に熱い傭兵とか堅物で真面目そうな騎士が主人公と一緒に行動するうちに乙女心ときめいてまさかの恋愛シナリオだったりとか。

ほんとにタダで読んで良いの?プレイして良いの?って思った。
それくらい面白かった。

とまあべた褒めしてるのに、なんでほぼリリース当初から初めてチェンクロプレイヤー五年目となる今のタイミングで辞めようと思ったのかと言うと、その大好きだったシナリオに段々と疑問や不満が積もっていって、去年の開発インタビューを読んで一気にそれが爆発したから。
プレイヤーの民度の低さとか、自分の好きなキャラの待遇とかクソみたいにくだらない不満はあったけど一番はこれ。

色々と悪い思い出のあるシナリオはあるけど、2部最終章とかさ、なんなんだろ。
2部はヒロインの姉が出てくるんだけど、その姉の動かし方がメアリー・スーみたいな。
1部からチラ見せはしてたけど2部で満を持して登場した姉、主人公のいく先々で自分の強さを見せつけていくんですよね。しかもラスボス倒すときもでしゃばって主人公と必殺技打って終了。
主人公=プレイヤーだから主人公が画面に現れることがないわけよ。主人公の視線で話が進んでるから。
だからラスボス倒すときの演出も出てくるのは2部ででしゃばってきた姉だけ。
いやいやいやいやいや、なんで対してなんもしてないお前がラスボス倒してるのよ。てかそこヒロインでよくない?てかてか他にもずっと主人公と共闘してきた仲間いっぱいいるやん?
最後までヒロインお荷物じゃなかった?みたいな。

このキャラが動いているところみて、思ったんですよ。
ああこのシナリオ作ってる人達だけがこのキャラ動かして気持ちいいんだろうなって。
自己満足オナニーってやつ。
ぽっと出でめっちゃ強いキャラだして主人公が押し退けて目立っちゃってる感じ。
それでこのキャラいいでしょ?って期間限定フェスのガチャで出す。

ヒロインの姉に押し退けられた主人公、義勇軍の仲間達。最後まで足手まといのヒロイン。
彼らが五年後の世界の伝説の義勇軍

最近のチェンクロのシナリオは自己満足オナニーがすごい。そんなにシコって満足感と言う精子まだ枯れてないの?

例えば、2017年11月27日に行われた主人公ちびキャラフェス
めんどくさいからTwitterでいったこと引用するけど、だからキャラの名前出てるけど、
ミニキャラだから恒常よりも知能指数低くして馬鹿やらせておけば良いという思考が丸見えのうっすい展開。
カーリンが特に酷かった。踏破でメインはってクロテッドのお姉ちゃん役をつとめてたカーリンはどこにいったんだろう。食べ物につられて暴れて足引っ張るだけの存在になってて、しかも完全に犬扱いされてるカーリンを見て悲しかったですね。
で、キャラを完全に犬扱いしてる話を読んで、作るのに参加してる人たちはゲラゲラ笑って楽しい楽しいって笑ってたんでしょ?
オリジナルシナリオが読める!って歌っておいてチャプターが2つしかなくてしかもうすら寒い笑いしかとれないキャラ崩壊したシナリオを高いクオリティのものですって言っちゃう。

開発の皆さんがお元気そうでなによりです笑

そしてそんなシナリオを作っている理由がわかったので、ああこれはもう自分はやれないな、と。

それがインタビューでディレクターがいってた言葉
(http://dengekionline.com/elem/000/001/652/1652887/)

松永:TRPGゲームマスター感があって楽しいんですよね。元々の原案、キャラクター設定を出して、作家さんからこうすれば!っていうのが返ってきて。で、こちらはユーザーさんからの見え方だったり、イラストレーターさんの意図だったりも考えながら、またボールを返して。キャッチボールしながら、物語ができていくのが楽しい。

松永氏が、シナリオを作ることを「TRPG」に例えたことがチェンクロシナリオが運営の自己満足オナニー臭が凄い答えなんだなって。
TRPG」は、その卓(参加するシナリオ)を囲んだ人達で物語を作りあげる遊び。
プレイヤーが自分のやりたいこと、思うことを表現してそれを参加した全員で物語として作り上げる。そういう娯楽。

言いたいことなんだよって単純にTRPGはその場にいる身内だけのエンターテイメントであって、TRPG感覚で作ったシナリオは、決して大衆が喜ぶように作られたものではないってこと。

これは単なるディレクターの例えだから、なにをそんなにかみついてるんだって感じだけどさ、それが「たとえ」ではなく実際に作られているシナリオの「答え」になっているからかみついてるんだよね。
プチキャラフェスもそうだし、ばぶばぶ言ってる吸血鬼の話もそうだし、いろんなところでカインが独り相撲してる話もそう。

TRPGみたいに自分が楽しい部分、一緒に遊んでいる人が楽しい部分そう言うところだけを抽出して身内が楽しい部分だけにならないように、作家や漫画家には公正な目で見られる編集がいるのに、プロデューサーやディレクターまでもが自分達が楽しいからってだけでそのシナリオを採用するってどうなんだろうね。
そうはいってないんだろうけど、出した例えや、今までのオナニーシナリオを見てきて、そう思っちゃうんだよ。

一回楽しいを捨てて、本当にこれで受け入れられるのだろうか、大丈夫なのだろうか、そういう考えを持って作っていて欲しかった。そういう考えで作ってるから!そう反論されても「じゃあもっとちゃんと何回も読み直して本当に良いか考えてみてください」って言い返せるようなシナリオはいっぱいある。

4年前にリリースされたとき、シナリオ重視のボリュームのあるソーシャルゲームとして、4年間も続いてくれたけど、その4年間でシナリオのレベルが上がったのか、と言われたら自分はそんなことはない、むしろ下がっているのでは、と思う。
下がっているわけでも、もしかしたらないと思う。
他のソーシャルゲームがどんどん質の良いシナリオを出している中で、チェインクロニクルはいまだに4年前のクオリティのままでいる。そう思う。
4年前、いや2年くらい前までは、チェインクロニクルはシナリオが上質で読みごたえのあるハイクオリティなゲームだったのかもしれない。過去の栄光にとらわれて、いまだに上質だと思い込んでいるのなら、本当に今回のインタビューの例えは「シナリオのクオリティの答え」であるし、どうかこれからは公正な目を持つ誰かをシナリオ制作の傍らにおいて欲しい。

だけど多分もうそれもないと思う。
永遠に身内だけの満足感と優越感に浸っててください。

シナリオがつまらなくなった今、チェンクロをやる価値は自分のなかでなくなった。
今までどんなゲームにもキャラやシナリオを重視してたけど今はもう完全な性能厨となった。
辛うじてやめていない理由はリーアをひけたからです。
面白いシナリオくれよ、頼むからさ。